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夢の一軒家をスペインに求めて

carte-mapフランスの国境を越えてスペインに行くと
コスタ・ブラバ(猛々しい海岸線)というリゾート地が有ります。
バルセロナまで1時間弱 。スペイン、フランスだけでは無く
ドイツ、イギリス、オランダからも観光客を集め、
ドイツ村、オランダ村なんていうのも有り
リタイアしたカップルが太陽を求めて、沢山移住しているそうです。

私達もこちらに来て、フランス人に教えられ
家族で小旅行に行きました。

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海が大好きな私は、こちらで家を買う時も
オーシャン・ヴューの家を探しましたが
モンペリエ近辺は真っ平らの湿原地帯で
家と海の目線が同じなのです。
仕方なく山寄りに現在の家を購入しました。

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コスタ・ブラバにある小さな港町

ところが、一歩スペイン側に入ると
断崖絶壁の上に絶景の一軒家が目白押し!!
しかも、カッコイイ家が沢山建っていて、
経済危機のスペインでは、近年そんな家々が
ゾクゾクと売りに出されています。

老後は絶対此処だと決めて、
暇を見つけては家探しと、ミニヴァカンスを兼ねて
スペイン通いをしています。

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ピレネーを越えただけで、リラックス気分。
しかも、料理はオリーブオイルと塩味でアッサリしていて
安くて、タップリしていて、新鮮。
ソースを使うフランス料理よりずっと気に入ってます。

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スペイン名物タパス

良く泊まるホテルは、母がメンバーに成っている
福島県の小名浜のホテルとソックリで、
松林が続く海岸線や沖の方に小さい岩島が有るのまで同じです。

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スペインの小名浜

小名浜の様に露天風呂は無いけど、地中海を臨みながらスパに入り、
朝はプライベート・ビーチを散策。
ドーベルマンのHANAKOが来た時も、直ぐに連れて行って
朝この浜辺を散歩しましたっけ。

海岸線をドライブしながら、売りに出ている家はないかなぁ〜と物色。
素敵な家を見付けては、こんな家に住みたいと写真をパチリ。

不動産屋に頼んで物件をみせてもらいましたが、
スペインにはお金持ちがいるものです。

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1ヨットハーバーの突端に建っている家は、土地こそ狭いけど
海を独り占め出来るし、自分の家からヨットやボートを出帆できるのです。
ベットルームは9室、家の中に何とエレベーター有り。
これってホテルじゃないの??

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もう一軒は、第一線という海の間際、1ヘクタールの敷地に建つ豪邸。
これは管理人の家も付いていて、老後の二人暮らしならこちらだけでも十分という
絶景のお宅でした。

どの家もメイドの部屋が付いていて、
住人のリッチなライフスタイルを十分想像できます。

家探しも新車マセラティが来て、益々楽しくなりました。

焦らずに、気長にゆっくりと終の住処を探すつもりです。

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ニーム

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アウグストゥス

隣町ニームは私の住んでいるモンペリエより旧くて
2000年以上の歴史があります。
ローマ時代、街の形が整いました。
初代ローマ皇帝、アウグストゥスの退役軍人が、街の基礎を造りました。
退役と言うと、老後を楽しむ老人を想像してはいけませ。
軍役中に駐屯地の建設、大小の橋を架ける工事、防御壁の構築、給水、排水工事
こんなのをどんどんやらされるので、退役時には皆んな立派な土建屋さんです。
軍団毎に入植するから、真っ新な所に、
何とか建設がやって来て、街造りをするようなものです。

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メゾン・カレ

そんな訳でニームの街の真ん中にメゾン・カレという
ローマ時代の神殿が残っています。
イタリアのローマで言えばフォロ・ロマーノに当たります。
近年修復が行われ、白亜のモニュメントが
街の中で共存して居るのが羨ましい限りです。
普通は入場料を取るため、モニュメントは隔離されて居るけど
メゾン・カレは写真を撮るならタダ。それだけで十分、
ローマのいにしえに触れることができます。

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円形闘技場

近くには円形闘技場も、ほぼ完全な形で現存していて
この2つのモニュメントから街の規模を想像すると
かなり本家本元のローマに近く、素晴らしい大都市だったのが分かります。

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ポン・デュ・ガール

ところで、世界遺産になっているポン・デュ・ガールと言う水道橋、
水の通り道ですが、このニームに水を運ぶ為に建設された物です。
生活用水は街の中で湧き水が有り、足りていたのですが、
贅沢用水として50キロの水路を引いて、水を運んだと言うから、
街が如何に権勢が有ったかを窺い知る思いです。

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今でも工事で地中を掘ったりすると、ローマ時代のモザイクや銅像なんかが
出て来るそうで、工事関係者には厄介な工事中断事件、
考古学者には嬉しい発見になるそうです。

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ニームのエンブレム

入植したアウグストゥスの退役軍人達は、アントニーとクレオパトラのエジプト軍に
勝った軍隊で、エジプトを象徴するワニを鎖に繋いだロゴが街の紋章になりました。
市役所の階段の踊り場の天井には、ワニの剥製がぶら下がっています。
椰子の木を背景にした、鎖に繋がれたワニのロゴを探してみて下さい。

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マーニュの塔

街を囲っていた6キロの城壁の頂点にはマーニュの塔が建っていて
高速道路でニームに近づくと、先ずこの塔が見えて来ます。
高層建築が立ち並ぶ今日でも(日本程では有りませんが)
この塔がよく見えると言う事は、ローマ時代は円形闘技場も
メゾン・カレもポン・デュ・ガールも良く見えて
情報流通が余り発達していない其の昔、
ニームを訪れて、ローマ詣でのつもりになっていた
おノボリさんもいた事でしょう。

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デニム

中世の頃から繊維産業が盛んで、コロンブスが新大陸発見に旅立つ時、
帆船の帆をニームに発注しました。
一連の丈夫な生地が新大陸アメリカに運ばれて、パンツなども作られました。
Gパンの素材デニムは「Toile de NIMESートワールドニーム」から来ているとか。
ジーンズはコロンブスの一行がジェノバの商人で「ジェーン」と言われていたのが
ジーンズになったそうです。
GパンはメイドインUSAだとばかり思っていましたが
こんな所に起源が有ったのかと、一つ勉強しました。

毎年5月には闘牛が嘗ての円形闘技場で開催され、
フランスはもとより、世界中から著名人がこのお祭りの為にやってきます。

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ニームのフェリア(闘牛祭り)

勿論、夜はフラメンコとジプシーギターだけでは無く、
熱いラテンのリズムで大フィーバー。
モニュメントのみが過去と現在、そして未来の生き証人です。

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アヴィニョンの橋の上で踊ろよ、踊ろよ

橋の上で踊ろよ、踊ろよで有名なアヴィニョン、
14世紀から約一世紀、法王庁が有ったことでも有名です。

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アヴィニョンの法王庁と橋は南仏観光のマストスポット。
そしてガイドだった私は、例の歌を必ず皆様にご披露していました。

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sur_le_pont_ronde乗りの良い女性グループの時には、
対岸の中州で歌いながら、ラインダンス。
可哀想な男性添乗員さんは、皆さんのカメラの撮影にあっち行って、こっち行って。
大声で歌って、踊った我々は、あっという間に旧知の友の様に打ち解けます。

さて、中世ヨーロッパで最大の宮殿と言われる法王庁、
まさに石の塊で、広場に立ってシャンポー門という
ロケットが2本並んでいる正面入り口を目にするだけで、
ウオ〜となります。
最初はローマから、チョット引っ越して来たという感じだったので、
法王庁としての体裁を急ピッチで整え、権威を内外に示しました。
資金はどうやら、当時十字軍で大変な収益を上げた
テンプル騎士団を弾圧し、その財産を法王庁の建築資金にした様です。

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アヴィニヨンの法王庁正面入り口2本のロケットはシャンポー門

 

余談ですが、ポルトガルという小国が大航海に出て行けたのも
この資金のお陰だそうで、ヴァスコ・ダ・ガマはインド航路を発見。
フランシスコ・ザビエルは日本にキリスト教をもたらしました。

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宮殿内は残念ながら、フランス革命期にかなりの改築、略奪の為
かつての素晴らしい装飾は殆ど残っていません。
それでも、法王のプライベート・スペースにその片鱗が見え
いにしえの豪華さを感じさせてくれます。

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法王の執務室、鹿の間

 

がらんどうの大広間に入った時、かつての祝宴の模様を想像してみて下さい。
まだフォークの無かった時代のこと、高貴な方々は手を使って食事をしていました。
口はテーブルクロスでぬぐっていたし、お隣とスープボールは共用だったとか?!
食材は大量に買い付けられていたようで、例えば、何百頭の羊、何千羽の若鳥を
仕入れた、などと言う台帳が現存しています。

ところで、冷蔵庫の無い当時、これらの肉は腐って悪臭を放っていたとか!!!

それで、肉の腐臭を消すために香辛料が大活躍をしました。

ベニスの商人は軽量コンパクト、だけど超高価で超人気商品の香辛料で
巨万の富を築いたと言われています。

サン・ベネゼ橋

ツアーの最後に角塔の上に上がる時もあります。
右手にはノートルダムドン大聖堂のマリア像今は美術館になっている小宮殿、
その向こうにはローヌ川にかかる例の橋。
本当はサン・ベネゼ橋と言い、元羊飼いベネゼの名前が付いてます。

左手は19世紀以降の新しい街並み。
劇場と市庁舎が有ります。

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おっと、正面を忘れていました。

元造幣局、ボルゲーゼ家の紋章を配した建物の正面はルネサンス様式の典型です。

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元造幣局

 

城壁に囲まれたこれらの旧市街は、中世の街並みを良く残していて
街歩きをしているとタイムスリップをした様です。

日本で言ったら、寺社街、京都に匹敵するでしょうか。

住人がセンスがあるせいか、美味しいレストラン、素敵なブティック、お洒落なカフェがそこかしこに。

もしも、アヴィニョンにお越しの際は、フリータイムに街歩きををお勧め致します。
きっと素晴らしい発見が有りますよ。

追記

私ごとで恐縮ですが、昨年末、永らくアヴィニョンのガイドをされていた
ミチさんが永眠されました。心よりご冥福をお祈りいたします。

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2015年はポルトガルのポルトで幕明け

オーラ!!

明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

ポルトガルのポルトで新年を迎えました。
29日の夜到着。元旦の今日までずーっとお天気に恵まれました。
リスボンへは行った事が有りますが、ポルトは今回が初めてです。
日本で有名なポートワインの産地です。

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ドン・ルイス1世橋とドウロ川、対岸はポートワインのカーブがある ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア

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ヨーロッパ大陸の中に有るポルトガル、
スペインの延長だから時差が無いと思いきや、
1時間の時差が有りました。

カウントダウンはフランスよりも1時間後です。

年末なので、ファドを歌う歌手はお休み。
残念ながら、街頭で流れる曲に耳を傾ける事となりました。
哀愁漂うメロディーは、アルゼンチンタンゴに通じる所が有り
日本人の心にも沁みるのではないでしょうか?!

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中央のリビングルーム、エレベーターの内部、天蓋付ベッド

 

ホテルは街の中心、部屋が幸運にもアップグレード、
「エンリケ航海王子」(フランシスコ・ザビエルを日本に派遣した人物です。
この人がいなかったらカステラは無かったかも?!)スイートに泊まりました。
超ラッキー☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
リビングが2つも付いていて、アッチコッチにソファーが。
どれに座っていいのでしょうか?
ベッドは天蓋付き、気分はお姫様(*^o^*)
広々としたバスルームは黒っぽい大理石、
金の額縁の鏡や、絵がやたらに掛かっていて、
貴族の気分をタップリ堪能させて頂きました。

古くからあるホテルでエレベーターは、鉄飾りの美しいドアを自分で開ける旧式のタイプ。

中には、布張りのシートが有り、プリティーウーマンの世界です。

夜の街に繰り出したら、市庁舎前には巨大な電光ツリー。
ここかしこに、クリスマスのイルミネーションが残っていて気分満点です。

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市庁舎の前には大きな電光クリスマスツリー

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ベント駅構内のアズレージョ

翌朝は、アズレージョと言うブルーの絵柄のタイル飾りで有名なベント駅へ。
電車の始発駅で、思ったより小さかったけど、駅構内は素晴らしい
青の絵タイルで飾られていて、ポルトガルに居るのを実感します。

 

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教会の外壁にもアズレージョ

建物はフランスやスペインでもお目にかかりますが、
アズレージョはポルトガル独自の文化です。
外壁までタイルで飾るのは、ポルトガルだけではないでしょうか。

タイル装飾で有名なスペイン南部は、多色使いが多いです。

 

 

街は坂道が多く、レトロな市電が現役で走ってます。

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現役のレトロな市電

 

ガイドブックで紹介されている所は何処も人が一杯!!

マジェスティックというカフェ、
世界で最も美しい本屋ベスト10に選ばれたという本屋。

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世界で最も美しい本屋の一つ、イロ・イ・イルマオン

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こういう所は適当にパスして、郊外の魚河岸区にシーフードを食べに行きました。

遅いお昼なので(大晦日の3時過ぎ)もう駄目かなと思ったけど、
バスを降りたら、バーベキューの煙が上がっている所が見えたので
脇目も振らずにそちらに一目散。

黒服のオジさんがまだ食べらるよと招じ入れてくれました。
あー良かった。
イカのオリーヴ・オイル焼きとシーフード・ライス、
魚の炭焼きも頼もうとしたら、多過ぎるから辞めといた方が良いと言われ断念。

つまみの黒オリーヴは丁度良い塩加減で、お替わりをしてしまいました。

イカは蛍イカででしょうか、オリーヴ・オイルタップリでプリプリと新鮮。
シーフード・ライスはコレまた新鮮な、海老とアサリが沢山入っていて、
出し汁が効いたスープでサラッと仕上げたおじや風。
熱々にコリアンダーが効いて、日本人好みの味です。
御飯はスペインもそうだけど、サラッとした味付けで
本当にどこに行っても美味でした。

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市庁舎の塔を背景に花火の連打

 

いよいよ大晦日、市庁舎の前のカウントダウンに行く予定でしたが、
毎日歩き廻って猛烈な睡魔だったので、こちらは諦めました。
それでも、外の喧騒と興奮がホテルの中にも十分伝わってきます。
0時、花火の音が聞こえ、テラスのカーテンを開けたら、
窓一杯の花火の連打、部屋に居ながらにして年越しを満喫できました。

ポートワインで新年の乾杯をしました。

今朝、エアポートに行く道すがら見るのは、
昨日の祭りの後に残されたシャンパン・ボトルの山、山、山。
日本とかアメリカだったら缶ビールだろうなぁ!
と変に感心。

マルセイユに到着したら、フランスも晴天で今年も良い年になりそうです。

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アンチパリの勝利ーロクシタン

花の都パリは、誰もの憧れ。

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南仏の田舎に住んでる私としては、
地方の良さを声を大にして説くけど
きらびやかなパリにはどうも分が悪いのです。

ところが、南仏生まれで世界に名を馳せるブランドが有りました。

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プロヴァンスの風景

ロクシタンです。
ロクシタンとはフランスを含めた、イタリア、スペインの地中海沿岸で
話されていたオック語の事です。冠詞が付いてロック語になります。

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中世の吟遊詩人

中世の頃、宮廷を渡り歩いた吟遊詩人たちが
この言葉で色々な詩歌を伝えています。
オクシタニと言えば南仏地方の事です。やっぱり冠詞がつくとロクシタニです。

創業者のオリヴィエ・ボウサンは南仏らしさをコンセプトにする為
敢えてロクシタンをブランド名としました。

住んでみると分かるのですが、
ロクシタンカラーの黄色やオレンジは
南仏の太陽、ひまわり、土の色。
ブルーは雲ひとつない空の色。
紫は勿論ラベンダーの色です。

70年代、23歳のオリヴィエが土地で採れるハーブを使って抽出したオイルを
ローカルのマルシェ(市場)で売り始めたのがブランドの始まりです。

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シアバター配合のハンドクリームはヒット商品

化学畑の友人イヴが参入、自然の成分を使った製品を市場に送り出します。
80年代、アフリカのブキナ ファソでシアの木に出逢い
シアバターを保湿成分として配合するアイディアを得ます。

シア・シリーズの誕生です。

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コルシカ島に咲いているイモーテルもこの様にして、成分に配合されました。

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イモーテル ディヴァイン シリーズ

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順風満帆に見えるオリヴィエの事業ですが、
実は90年代に倒産の危機に瀕します。

その時にオーストリアの実業家が参入して、企業を建て直しました。
以前、私が読んだ記事には、この実業家が化粧品パッケージの専門家で
ロクシタンのリルッキングを行ってから、大幅に売り上げを伸ばしたと有りましたが
今探して見たらどこにも出てきません。

ただパッケージは本当に可愛くなり、値段も手頃なので
こちらでもギフトとして喜ばれています。

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抜群に可愛いパッケージ

プロヴァンスの香りを世界中に広めたロクシタン
現在は世界中に2000件ものブティックを保有する
大企業となりましたが、
創業者オリヴィエのプロヴァンスの素晴らしさを
世界に配信するというコンセプトは今日も生き続けています。

私も微力ながら、「プロヴァンスは素敵だ」を皆様にお贈りいたします。

ア ビアン ト
(それではまた)

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由香梨

コルドバは霧の中 part1

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スペイン南端のアンダルシア地方コルドバへ行って来ました。

あいにくの霧雨、しかも、ナビが全然機能しないのです。
何しろホテルはメスキータと云う世界遺産の真ん前。
この辺りは歩行者専用地区で、一般のクルマの乗り入れが出来ません。
そんな訳で、街中に入りいいとこまで行くのですが進入禁止で
肝心のホテルに近ずけない(゚o゚;;
もうとっくに日も暮れ切って、行ったり来たりグルグル、グルグル。
雨の中、街灯が景色を染め上げて、美しいのがせめてもの救いです。

今夜は、もう野宿覚悟だ、と開き直るしかない(^◇^;)

グアダルキビール川にかかるローマ橋

とにかく、グアダルキビール川沿いの一番近い橋をインプット。
1個手前の橋まで何とか辿り着き、進入禁止を無視して川沿いを入って行ったら、
ライトアップされたローマ橋が見えて来た、右手にはメスキータ*\(^o^)/*

メスキータは8世紀に建てられたイスラム教徒のモスクで、
スペインの国土回復戦争(レコンキエスタ)の後
キリスト教の大聖堂として転用されました。
中に赤と白の二重アーチが800本以上立っている有名な建物です。
昔は1200本以上の柱が林立、2万5千人を収容する大モスクでした。

 

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メスキータには800本以上の柱が林立

25年前に見たはずなのに、初めて見る様な大感動。
凄く大きな長方形(174×137)の建物で壁には、美しいアラベスクの浮き彫り模様。
野宿覚悟のコルドバ堂々めぐりも一瞬で忘れ去り、
ホテルにチェックインも束の間、直ぐに夜霧のコルドバに繰り出して行きました。

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ホテルの部屋から見たメスキータ

何しろホテルはメスキータのサンタ・カタリーナ門の真ん前。
部屋の窓を開けると、壁の模様がガーンと目の前に広がる絶好地です。
メスキータ側の観光地を避けて、ローマ橋対岸に写真を撮りながら渡って行きました。

 

 

対岸は14世紀、エンリケとペドロ1世の異母兄弟間で
国王の地位をかけて戦った激戦地だったそうです。

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左の魚は美味しくて半分は食べてから慌ててフォトショット

現在は市民の生活の場となり、メスキータ側の観光地とは一線を画し
レストランもカフェもバーもあるのかないのか…。
看板の有りそうな方角に歩いて行ったら、人が沢山入っているレストラン発見。
中に入ると、材料を選んでその場で揚げて貰い、熱々を食べるフライ屋でした。
ハーフサイズを頼んだのに、1キロぐらいの魚のフライが出てきて
主人と二人で食べるのに苦労しましたが、とても美味でした。

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アイスクリームより軽いだけど美味しい

その後は、帰り道のカフェで何だか分からないが美味しいらしいデザートをシェアして、
カフェ・ソロ(エスプレッソ)でお勘定。

そして、メスキータ側に戻ってタブラオで、フラメンコを見ながらサングリアをチビチビ。
ダンサーもギターも歌手もノリまくって最高の舞台を堪能しました。

酔い醒ましに世界遺産の周りを散歩、ライフスタイルも段々スペイン風になり
夜空には月も出てきて最高の気分で一日を終えました。

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コルドバは眠らない

 

アラーの神のご加護でしょうか?

ブエノスノウチェス(おやすみなさい)

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フランスの美しい村 サン・ギエム・ル・デゼール

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我が家から裏道を通ってクルマで30分弱、
ユネスコの世界遺産に指定された
サン・ギエム・ル・デゼールという村があります。
フランスの美しい村々の一つでもあります。

観光コースには入っていないので、
日本人の方は訪れる機会が無いと思いますが、とても素敵な所です。
そして、サンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路になっています。

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巡礼路、飲み水を示している石版

 

村は岩山に囲まれた谷間、小川の流れに沿って縦長になっていて
もと教会だったツーリスト・オフィスを左手に入って行くと
グレーの石灰石の家並みが連なり、左手に村役場、
狭い石畳を歩いて行くと、突然視界が開け、
ジローヌ修道院の堂々とした、ロマネスク様式の後陣が見えてきます。

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ジローヌ修道院

 

すごい石の塊なのに、やけに軽やかに見えるのは
レースの様にアーチ型の窓が連続しているからです。

因みに、ロマネスクは窓が半円馬蹄型。
その後のゴシックは大概真ん中が尖ってます。
お手元に10€と20€札が有れば比べてみて下さい。

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修道院の入り口は、プラタナスの大木が茂っている広場にあります。

レストランとカフェが有り、暑いひと時のオアシスになっています。

レストランは観光地ズレしていないので、
メインディシュもデザートもドーンとボリューム満点。

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村の中心、リベルテ広場には樹齢150年のプラタナス

 

修道院の始まりは、ギエームという中世の騎士が、
サラセンとの血生臭い闘いに終止符を打ち、
人里離れた山里に隠遁したのがはじまりです。
1200年も昔の事です。

フランス国王の有力な戦士だったギエーム、
引退を惜しむ国王から、キリストの磔刑に使った
十字架の木片を授かります。
これが遺物として、巡礼者を集める事になりました。

だけど、遺物と言われている木片を集めると
一軒家が建つと言われているので真偽の程は……。

何はともあれ、遺物が有る無しでは、
教会や修道院の集客力が俄然違います。
詰まり、帆立貝をぶらさげている、巡礼者の事ですが。

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巡礼の印、帆立貝。聖ヤコブがついてます。

 

彼等が参ることで、道路や橋ができる、宿が出来る、
飯屋が出来る、土産物屋、医者だ、靴や馬具の修理屋だと
色んな商売が繁盛します。

そして教会にも大なり、小なりの寄付で商売繁盛\(^o^)/

コンクというフランス南西部の山奥にある教会は
聖遺物を盗む為に、10年計画で僧侶を送り、
無事、サント・フォアという聖人の遺物掠奪作戦に成功しました。
聖職者がこんな事して、罰が当たらないのでしょうか?

最も十字軍も聖戦という名目で、中世の当時、ヨーロッパと比べると

かなり高度な文明の下、リッチな生活を送っていたオリエントに
一攫千金を夢見て、掠奪に行ったらしいから
神様の為、教会の為、宗教の為ならなんでも有りかな(; ̄O ̄)

話は脇道にそれましたが、サン・ギエム・ル・デ・デゼールは
そんな浮世の雑事を忘れるぐらい、素朴なところです。
晴れていれば、尚更、心が洗われる思いです。

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修道院の回廊と夾竹桃の花

 

今日はお天気も良いので、久々に聖者ギエームの眠る
村にドライブに出かけてきます。

由香梨

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