隣町ニームは私の住んでいるモンペリエより旧くて
2000年以上の歴史があります。
ローマ時代、街の形が整いました。
初代ローマ皇帝、アウグストゥスの退役軍人が、街の基礎を造りました。
退役と言うと、老後を楽しむ老人を想像してはいけませ。
軍役中に駐屯地の建設、大小の橋を架ける工事、防御壁の構築、給水、排水工事
こんなのをどんどんやらされるので、退役時には皆んな立派な土建屋さんです。
軍団毎に入植するから、真っ新な所に、
何とか建設がやって来て、街造りをするようなものです。
そんな訳でニームの街の真ん中にメゾン・カレという
ローマ時代の神殿が残っています。
イタリアのローマで言えばフォロ・ロマーノに当たります。
近年修復が行われ、白亜のモニュメントが
街の中で共存して居るのが羨ましい限りです。
普通は入場料を取るため、モニュメントは隔離されて居るけど
メゾン・カレは写真を撮るならタダ。それだけで十分、
ローマのいにしえに触れることができます。
近くには円形闘技場も、ほぼ完全な形で現存していて
この2つのモニュメントから街の規模を想像すると
かなり本家本元のローマに近く、素晴らしい大都市だったのが分かります。
ところで、世界遺産になっているポン・デュ・ガールと言う水道橋、
水の通り道ですが、このニームに水を運ぶ為に建設された物です。
生活用水は街の中で湧き水が有り、足りていたのですが、
贅沢用水として50キロの水路を引いて、水を運んだと言うから、
街が如何に権勢が有ったかを窺い知る思いです。
今でも工事で地中を掘ったりすると、ローマ時代のモザイクや銅像なんかが
出て来るそうで、工事関係者には厄介な工事中断事件、
考古学者には嬉しい発見になるそうです。
入植したアウグストゥスの退役軍人達は、アントニーとクレオパトラのエジプト軍に
勝った軍隊で、エジプトを象徴するワニを鎖に繋いだロゴが街の紋章になりました。
市役所の階段の踊り場の天井には、ワニの剥製がぶら下がっています。
椰子の木を背景にした、鎖に繋がれたワニのロゴを探してみて下さい。
街を囲っていた6キロの城壁の頂点にはマーニュの塔が建っていて
高速道路でニームに近づくと、先ずこの塔が見えて来ます。
高層建築が立ち並ぶ今日でも(日本程では有りませんが)
この塔がよく見えると言う事は、ローマ時代は円形闘技場も
メゾン・カレもポン・デュ・ガールも良く見えて
情報流通が余り発達していない其の昔、
ニームを訪れて、ローマ詣でのつもりになっていた
おノボリさんもいた事でしょう。
中世の頃から繊維産業が盛んで、コロンブスが新大陸発見に旅立つ時、
帆船の帆をニームに発注しました。
一連の丈夫な生地が新大陸アメリカに運ばれて、パンツなども作られました。
Gパンの素材デニムは「Toile de NIMESートワールドニーム」から来ているとか。
ジーンズはコロンブスの一行がジェノバの商人で「ジェーン」と言われていたのが
ジーンズになったそうです。
GパンはメイドインUSAだとばかり思っていましたが
こんな所に起源が有ったのかと、一つ勉強しました。
毎年5月には闘牛が嘗ての円形闘技場で開催され、
フランスはもとより、世界中から著名人がこのお祭りの為にやってきます。
勿論、夜はフラメンコとジプシーギターだけでは無く、
熱いラテンのリズムで大フィーバー。
モニュメントのみが過去と現在、そして未来の生き証人です。